free[連載] Contemporary Art Scene in the World(1)―ニューヨーク滞在記(今、現代アートの中心で何が起こっているのか?)

世界の現代アートシーン(1)―ニューヨーク滞在記(今、現代アートの中心で何が起こっているのか?)


2014年3月4日
[day1]
夕刻、ニューヨークのラガーディア空港に到着。クイーンズにあるホテルにチェックイン後、ギャラリーめぐりを試みる。とはいえ、ギャラリーは6時までで、鑑賞できたのは一軒のみ。
33丁目の通り沿いのニューヨークの夕景。
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アートフェアのひとつ、Scopeの文字が見える。

この通りをさらに西に行くと10thアヴェニューに出る。そこを北に行くとギャラリーのチェルシー地区最北のSean Kelly galleryにぶつかる。
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Frank Thielの写真は、非常にサイズが大きいので、まだ大自然の崇高さを感じさせるが、19世紀のロマン主義とは違い、人間の自然への侵略で、氷河が後退していたり薄汚れていたりと、現代の氷河の惨めさをさらけ出してもいる。

さて、すぐに日が暮れてニューヨークは夜に染まり始めた。
ここで、ニューヨーク訪問には欠かせないNew Yorker HotelとEmpire State Buildingのシルエットを。
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今回私が泊まったホテルは、Best Western Plaza Hotelで、周囲の環境はあまりよくないが、マンハッタンから二駅のところにあるので便利。マンハッタンと比べると安く、wifiが無料で電波も強い。部屋番号が416で、私の誕生日と同じというのは、何かの因縁だろうか。
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3月5日
[day2]
前日のレポートでお分かりのように画像の問題は、なんとか解決しました。
これからは、どれだけ疲労に打ち克ち、日記を書き連ねられるかどうかが、勝負。

さて[day 2]は、かつてギャラリー街の中心だったソホーから始める。
いまでも残るギャラリーは少ないが、そのなかでRonald Feldmanはもっとも古株のギャラリーで、私がカタログに文章を寄せた故レオン・ゴラブも、このギャラリーに属している。
まず、一発目から頭を殴られた。Feldmanは最近社会的アートを展示する機会が多いが、世界を見渡してFukushimaを扱った作品が少ないなか、正面から原発事故を取り上げたアーティスト、Yishay Garbaszのヴィデオと写真の個展。彼が直接立ち入り禁止区域とその周辺、そして東京に足を運んで撮影した映像と画像を生のまま鑑賞者の眼前に投げ出している。そこに、「トラウマ」と「しょうがない」をキーワードに、アーティストの肉声のナレーションが加わり、日本人の意識の暗部も含めて、現在の状況を彼の視点から切り取りストレートに表現。
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手前の台座の上にあるのは、使用されたガイガーカウンター

次に、チェルシーから移転してきたTeam。そこで個展を開いたのは、Robert Janitz。アメリカ伝統のマテリアリズムとマーケットのフェティッシズムがほどよく大らかに結合したのが魅力の絵画。
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さらに、ウェストサイドのGreenwich Stにある二つの強者(つわもの)ギャラリーに行く。
Gavin Brownでは、3人展のうち、Judith Bernstein。彼女は、キャリアの最初から性の問題を取り扱ってきたが、今回の新作も、蛍光色で男女のセックスをカリカチュア風にグラフィティとして描き、圧倒的な迫力だった。
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隣のMaccaroneでは、Eugene Von Bruenchenhein(1983年没)。このself-taughtのアーティストは、2013年のヴェネツィア・ビエンナーレにも展示されていたが、Maccaroneには珍しく(というのは、このようなタイプのアーティストは見かけないので)、繊細なデザインの陶器や色彩と線の素晴らしい絵画が、彼のアートのミューズである彼の妻の写真と並べられて、極上の展覧会となっていた。
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再び、ソホーに引き返しSwiss Instituteへ。
スイス人アーティストのKeidi Bucher(1993年没)の個展。スイスでは、よく見かけるアーティストだが、アメリカで展覧会をすることはなかったそうである。
作品は、家を皮膜で覆い、それを剥がして展示するものだが、今回は、彼女の制作の模様、彼女が作品について語る、作品を使ったパフォーマンスの映像があって、しばし彼女の世界に浸れた。
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トライベッカのオルタナティヴ・ギャラリー、Art in Generalでは、リトアニアのアーティスト、Mindaugas Navakasの個展が開催。これらのインスタレーションは、何かを思考させるが、それが何であるかは判然としない。参照の矢印だけが宙に浮く作品。リトアニアという歴史上複雑な経緯を辿ってきた国のアーティストだからだろうか?
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同じくトライベッカにあるkansas。Sreshta Rit Premnathの個展。不思議な曲線のドローイングと紐の絡まりとに、見えずらい水平線がギャラリーの壁を一周している。
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チェルシーからOrchard Stに移転してきたKlemens Gasser & Tanja Grunertでは、Paul Jacobsenの個展。チェルシーの頃と比べると、ギャラリーの空間がずいぶん小さくなった(ギャラリーの栄枯盛衰か。私はTanja Grunertの画廊がケルンにあった頃から知っている)。
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同じくOrchard Stにあるギャラリーを二つ。
まず、Untitled(アートフェアのIndependentに参加)。George Nakashima個展。アートがインテリア用品になることを遺憾なく証明している。
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Miguel Abreuでは、Florian Pumhoslの個展。単なる幾何学抽象ではないことを、まだらな地と、細い線のかすれや濃淡が示している。
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Canal St沿いの通りに多くの新しいギャラリーができている。そのなかで注目されるのが、47 Canal。文字通りCanal Stの47番地にある。そこで個展を開いていたのが、Trevor Shimizu。カリフォルニア在住の日系アメリカ人の絵画は、コミカルな希薄なフェティッシュさで、かっこよく際立っていた。
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最後に、この地区でおそらくもっとも古いReena Spaulingsを訪ねようと思ったのだが、あいにくギャラリーは閉まっていた。正面のビルの二階がギャラリー。
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多分ギャラリーアーティストの荒川医が参加しているWhitney Biennialのオープニングに出かけたのだろう。
私もできれば行きたかったが、これだけ動き回った後では疲れ切り、今日はパスして後日ゆっくり鑑賞することにした。

New York is still extremely cold.


3月6日
[day3]
本日は、今回の旅行の目玉のひとつ、アートフェアのArmory Showに行く。
全般的な感想から言うと、去年よりも良くなっているし、見やすくなっていた。その理由は、今勢いのある中国のギャラリーを特集したこと。そして、すっきりと見られるようギャラリーのブースの展示に余裕をもたせたことだろう(出店するギャラリーが減っているからかもしれないが)。中国の現代アートの力を借りたことが効を奏して、中国の特集のブースを中心に見応えのあるギャラリーが集まる傾向があった。まるで中国から現代アートの大波が放射状に広がるかのようだ。ここでは時間がないので、その中国のギャラリーから始めて、とりあえず気になった作品(作家名、ギャラリー名がなくて申し訳ないが、アートフェアの常として、買わない限り大量の作品を前にして名前をチェックすることはないだろう)をずらっと挙げていこう。
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以上、中国特集のギャラリーの出展作品。
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私の感想の結論は、作品の傾向として、シミュラークルの呪縛が解かれて、ポストモダンが決定的に終息した。だからといって、表現はシミュラークルから離脱したのではなく、それを意識することなく(これが呪縛を解くの意味)シミュラークルに浸っている。そこでは、現代アートの既成観念や型にはまった作品は、つまらないという以上に、シミュラークルの仕掛け作りに長けたゲイリー・ヒュームやアンセルム・ライルのようなアーティストの作品が輝きを失うのと同様に、シミュラークルの無意識の自由な世界に遊弋できない。そのような作品を展示していたのは、大手の有名ギャラリーや古株のギャラリーに多かったように思う。シミュラークルは発展的に消え去ったのである。今や現代アートは、次なる課題へと歩みを向けている。


Armory Showの後は、木曜日は9時までやっているNew Museumへ。メインの展覧会は、Pawel Althamer。美術館の2階から4階を使って行われた。The Neighborsと題された展覧会は、鑑賞者から身近な家族のメンバー(自分も含まれる)やヴェネツィアで出会った人々(そこには移民などの遠い隣人も含まれる)まで、様々な隣人が登場する。4階は、ベルリン・ビエンナーレの延長上で入館のが飛び入りが可能な壁画制作。3階は、Althamer自身や娘など身近な隣人をモチーフとした人体彫刻。そして、2階には、2013年のヴェネツィア・ビエンナーレに参加した新作の人体彫刻に、ビエンナーレの特別展で発表したArtur Zmijewskiとの共作の映像、ドラッグや催眠術を使って自己の内部に隣人を探索する試みの作品を組み合わせて、と一貫しているが多彩な内容の展覧会だった。
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以上、4階の展示風景
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以上、3階の展示作品。
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以上、2階の展示風景。

1階のギャラリーは、去年ターナー賞を取ったLaure Prouvostのインスタレーション展示。イメージと言語を絡めた映像を含むインスタレーションは、視覚と言語が等価値に働きながら刺激的な世界を作り上げていた。


3月7日[day4]
今日は、こ時期にニューヨークで開かれるアートフェアのなかで、若く有望なアーティストの作品を中心に展示するIndependentアートフェアを訪ねた。バーゼルのListe、マイアミのNadaと並んで、カッティングエッジなアートを紹介するこのフェアが、今年どのようなものだったのか、その一端をお見せしよう。

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私が、これらの作品を見て感じるのは、至る所にシミュラークルが蔓延していることの証である。ここで言うシミュラークルとは、かつて一世を風靡したシミュラークルのことだが、現代のそれは、かつてのシミュラークルが徹底し一回転して元に戻る、そのようなシミュラークルである。それは時代を経て、シミュラークルの差異つまりズレがズレまくって、元のアイデンティティに舞い戻るか、ズレのメーターが振り切れオリジナルとは似ても似つかぬ他者となったシミュラークルである。それでも、それらをシミュラークルと呼びたいのは、それらが辿ってきた由来を、それらが不可視の痕跡として自らに刻んでいるからだ。同一物や異他物になってしまったシミュラークルは、シミュラークルの時代(ポストモダン)のピークにして没落である。そんな時代を象徴するかのようなアートフェアが、Independentだった。
それは、このフェアの後に観たWhitney Biennialでも同じように感じた(アートフェアとは違い、おそらく経済と直接結びついていないので、明るくオプティミスティックだったが)が、まだ全部を観終わっていないので後日にとっておくことにしよう。



3月8日
[day5]は、チェルシーのギャラリー街へ。前日までの寒さと打って変わって暖かくなった。ニューヨークに春がやってきたようだ。この暖かさで人々が湧き出し、ギャラリーに溢れていた。
さすがにアートフェアの時期には、ギャラリーで優れたアーティストの展覧会が開かれている。

Jorge Pardo@Petzel
アートが、デザインではなくインテリアになることを、Pardoほど実践してみせた例はほかにないだろう。
ひたすら美しい。
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Emily Jacir@Alexander and Bonin
パレスチナ人アーティスト、Emily Jacirによるイスラエルの図書館に「Abandoned Property」と分類されて所蔵されているパレスチナの本のリサーチ。
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Jordan Wolfson@David Zwirner
つねにその道の本格派を投入して成功させてきたビッグのなかでもやり手のギャラリー、David Zwirnerの次なる一手は、Jordan Wolfsonの漫画とグラフィックの組み合わせた絵画。CGと実写を組み合わせた映像の作品もあって、自虐的なユーモアで文明批判をクールに決めてみせる。
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Richard Mosse@Jack Shainman
去年のヴェネツィア・ビエンナーレにアイルランド代表として出品したRichard Mosseがニューヨークに登場。映像作品は、ヴェネツィアと同じく、コンゴの内戦に取材したドキュメンタリー。赤外線カメラに映ったコンゴの風景は美しいが凄惨。因みにShainmanは、多文化主義系の作品を得意分野とするギャラリーである。
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Michel Francois@Boltolami
ベルギーのコンセプチュアル・アーティスト、Michel Francoisの個展の模様。どこもかしこも謎だらけだが、いささか間の抜けた野暮ったさが魅力か。
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Kelley Walker@Paula Cooper
2000年代にWade Guytonとともにアート界に颯爽と登場し、ドイツのAnselm RyleやAndre Butzerを含めて、シミュレーショニズムの第3世代を形成したWalkerの新作は、穴をあけたり半透明のカンバスを使ったりと、いろいろ手段を講じてシミュラークルを演出するが、その工夫が逆に仇となってシミュラークルの生成を妨げている。
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Rudolf Stingel@Gagosian
ついにStingelがGagosianを占領した! 世界にシミュラークルのウイルスをまき散らして、インフルエンザに罹るよう企んだ張本人は、彼である。そのピークのイヴェントが、去年ヴェネツィア・ビエンナーレと同時期にPallzo Grassiで開催された彼の個展だった。そして、ニューヨークに上陸。彼の作品を観る前にすでにシミュラークルは蔓延していたが、いずれにせよ本家本元によるシミュラークル大判振る舞いが、Gagosianで繰り広げられた。Gagosianさえもが、シミュラークルに染められたというより、その扇動者になったのだ。さて、Stingelは、この一連の絵画で、何をシミュラークル化したのか? まず自然を、自然の表象(間接的に写真)を、染みや汚れやゴミを、そして崇高さまでも。
そのようにして、あらゆるものをシミュラークルとした後に、それを消滅させた(空気を意識する人間はいない)。彼の提示するイメージを、誰もシミュラークルと思わないだろう。それが彼の策略であり、ギャラリーに集った人々は、見事にその罠にかかっている。
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それから、チェルシーを後にして、金、土曜日は9時まで開いているMETへ。
特別展のピエロ・デラ・フランチェスカ展を鑑賞するためだ。生涯については未知の部分が多い、ルネサンス初期の画家の4枚の絵画の展示だったが、教会のフレスコ画ではないので、個人的色彩のある宗教画との説明があった。作品を観ながら思ったのは、ピエロは、幾何学的な理知的精神と宗教的な神秘的精神を、どのように折り合いをつけて結合したのかということだった。パノフスキーの言う象徴形式によってなのだろうか? 私には、作品になったのだから折り合いをつけても、表現に亀裂が生じているように思われたが。それが、妙によそよそしい人物の表情に表れているのではないか。
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他の特別展は、William Kentridge:The Refusal of Time、Charls Marville:Photographer of Parisなど。Marvilleの写真展は、アジェより前の世代の彼の撮るパリが、アジェの日常だが魔物(他者の残像)が棲むシュルレアリスティックなパリの街角とは大いに違って、その街並みはあくまでクリア(アポロ的)であることを遺憾なく見せてくれた。


3月9日[day6]
[day6]は、日曜日でも開いているNew Museum周辺のギャラリーから、先日見切れなかったCanal Stへ。
オルタナティヴ系のWhiteboxでは、Time::Codeと題されたヴィデオアート展が行われていた。ジョナス・メカス、ダラ・バーンバウム、キャロリー・シュニーマンから現代まで、ヴィデオのもつアナーキーなエネルギーを引き出して秀逸なグループ展だった。
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Kathrine Bernhardt@Canada
近くから移転して後、初めてCanadaを訪れた。Kathrine Bernhardtは、ファッション雑誌に載っているモデルを表現主義風に描いていいるが、このような素朴派を装う絵画は、どう解釈すればよいのだろうか? 次に紹介するKerry Schussギャラリー(Independentに参加)も同趣旨のグループ展をやっていた。
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Half Drop@Kerry Schass
Half Dropとタイトルされたグープ展でも、プリミティヴと形容される作品が展示されていた。出展アーティストは、アウトサイダーのアーティストではなさそうなので、洗練された稚拙で魅力を放っていたが、それがどのような効果をもつのか? このギャラリーがIndependentアートフェアに参加していたところを考え合わせると、エスタブリッシュされたアートに対するアンチな表現ではある。
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そして、先日観ることができなかったReena Spaulingsへ。
Ken Okiishi@Reena Spaulings
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テレビのモニターを縦にして壁に掛けることで、絵画のように見えるようにすることは以前になされているが、その画面に絵具を塗ることで映像という情報を否定するジェスチャーを作品化したのは、Ken Okiishiである。この作品は非常にラディカルなのは、今回のニューヨーク滞在記でテーマとしているシミュラークルに抗して、彼のジェスチャーが際立っているからである。デジタル化したシミュラークル(テレビの映像)を、アナログの絵具が荒っぽく否定してみせる。SpaulingsがIndeendentに出店しないはずである。Independentはシミュラークルだらけだからだ。
それにしても、日系の優れたアーティストが育ち始めた。47 CanalでやっていたTrevor Shimizuといい、このKen Okiishiといい、掛け値なしに刺激的な素晴らしいアーティストである。

Canal Stの近辺で、Independent出店組のRamiken Crucibleギャラリーで開かれたElaine Cameron-Weirの個展を紹介しよう。
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[day6]は、これで終わりではない。その後、次に示す企画展を鑑賞するためにBrooklyn Museumに赴いた。
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この展覧会では、60年代の黒人の差別を撤廃して市民権を獲得する運動に連動して、アートが社会的、政治的なメッセージを発信していたことが検証された。抽象絵画やポップアートに、そうしたメッセージが隠されていたのである。


3月10日[day7]
MoMA同様、月曜日に開館しているGuggenheim Museumに一番乗り。「Italian Futurism 1909-1944」展を鑑賞。
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フューチュリスムのアヴァンギャルドと、ファシズムの政治の関係は、現在の時代背景に、それを投影して考えることができるだろう。現代にアヴァンギャルドがいないとするのは間違っている。現状や体制や秩序を否定(反対、抗議、反逆)する表現は、アヴァンギャルドと広義の意味で呼ばれてよい。それほど現在では体制に順応したり追随したりする作品が多いのだ。それは、このブログで紹介したものを除いて、アートフェアに行けば一目瞭然である。現代アートのステレオタイプや、うまく既存の社会やアートの枠に収まるようこじんまりとまとまった表現がほとんどだからだ。しかも、内容的には過去のオリジナルの物真似の二番煎じなのだから、処置なしである。テクニックばかりが優先され、一見きちんときれいに仕上げられているので、世の保守的なプチブルには受けがよく喜ばれるだろう。だが、それで売れたとしても世界(アートと社会)は変えられない。だから、ポーズでもよいから、体制や秩序の心を逆なでし騒ぎ立てるアートは希少価値があり、それを現代のアヴァンギャルドと名づけてよいのではないか。
Guggenheimでは、フーチュリスムと並んで、Carrie Mae Weemsの三つの時期に制作された作品の展覧会が開かれていた。アメリカの黒人女性アーティストとして長いキャリアをもつWeemsの作品は、言葉を頻繁に用いるために、物事をじっくり見ようとしない軽薄な現代アート界にあって不遇の時を過ごしたことがあったとしても、孜々営々と持続的に制作すれば、いずれ人々は理解してくれることを示唆しているように思われた。

さて、Geggenheimを後にしてMoMAと提携しているPS1に向かった。
PS1では、3人のアーティストの展覧会が行われていた。
まず、Maria Lassnig。彼女の絵画を貧しい絵画と呼ぶことは、けっして貶下ではない。反対に、あまり描きこまないことのストレートさが鑑賞者に敏感に伝わってくる。彼女のテーマであるbody awarenessに忠実に表現を研ぎ澄ませていった結果が、デフォルメされた身体となったのだ。このデフォルメされた身体が描かれた貧しい絵画が、(物真似でも既視感でもなく、どこかで見たことがありそうだがどこにもない)シミュラークルの圧倒的な迫力を生むのである。
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次は、Korakrit Arunanondchai。タイ出身のアーティストの一見明るい華やかなインスタレーションは、祭壇の中央に人間が横たわっていることで、死の儀式の場面であることが分かる。とはい辛気臭くも抹香臭くもない透明で静謐な雰囲気を漂わせている。
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Korakrit Arunanondchaiとは対照的に、生のアナーキーな猥雑さをノータブー(ナチスのトラウマでさえ)で表出するChristoph Schlingensiefの展覧会は、創造の壮絶の極みとでも形容すればよいか。すでに2010年に逝去しているSchlingensiefは、2011年のヴェネツィア・ビエンナーレのドイツ代表となり、ドイツパビリオン内部を異端の宗教の教会に仕立てて金獅子賞を獲得したが、その彼の回顧展が、ベルリンのKWから巡回してきた。アートのあるゆるジャンル(映画、演劇、パフォーマンス、アクティヴィズム、インスタレーション)を横断して彼が表現しようとしたのは、まったき「自由」だろう。ここまで破格でスケールの大きい人間はかつて見たことがない。にもかかわらず、彼の作品は、形式、内容とも引用が多く、シミュラークルと言って差し支えない。
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3月11日[day8]
残り2日となった[day8]は、チェルシー地区を含めて、まだ観ていないギャラリーの総ざらえに出かけた。チェルシー地区では、アートフェアの時期には必ずと言ってよいほど開かれるガゴシアンのリチャード・セラと、メアリー・ブーンのロス・ブレックナーから。前者は、相変わらずモダンのイデオロギーであるマテリアリズムを一身に体現し、後者は、同じくその挫折を味わった惨めな崇高を反復している。
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Richard Serra@Gagosian

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Ross Bleckner@Mary Boone

チェルシーでは、これらのアートフェアとパックとなったお約束の展覧会が散見されるなか、それとは別にとりわけ光っていたのが、Metro PicturesのRene Danielsと、303のCollier Shorrだった。
Danielsは、シミュラークル絵画のプロトタイプとして、遠近法や平面性などの引用しながら浮遊するイメージを醸成していた。
Rene Daniels@Metro Pictures
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彼の作品は、飄々としたドライなユーモアと漫画調のデタッチメント(対象との距離)によってオリジナリティをもつので完全なシミュラークルとは言えないかもしれないが、先に挙げた要素を含む引用の織物によって、どこかにありそうでどこにもないイメージの世界(シミュラークル)を作り出している。

Collier Shorr@303
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Chorrは、もはや真実はない世界で、すべてはさらけ出されていることをケレンミなく、潔く表現していた。

次に向かったのは、27丁目の11と12通りの間にあるギャラリーである。2000年代、ここにジョン・コナリーがギャラリーを構え、私が「内在的イメージ」と名づけた表現が見られる、チェルシーで最先端と目される界隈だった。しかし、ギャラリーの異動や消長が激しくなった2010年代、コナリーがギャラリーを畳み、この界隈の衰退がはっきりしてきた。現在ここにあるギャラリーの展覧会と、Independentに出店したギャラリーの展覧会を比較しながら、今一度シミュラークルを明確にしてみたいと思う。
まず、27丁目のギャラリーを二つ。
Michelle Sergre@Derek Eller
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Gabriel Hartrey@Foxy Production
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以上の作品について、何かが悪いと言いたのではない。むしろ、考えがよく練られているし、素朴に見えるとはいえ洗練され繊細ですらある。しかし、どこかが違うのだ。それは、素材の扱い方である。素朴さは表現の内容にあるのではない。素材の物質性を素朴に信じ込んでいるところが、次に示すIndependent出店組の二つのギャラリーの作品とは異なるのである。年を押すが、物質を素朴に信じることが悪いのではない。現在の時点で、最先端のアートはどちらかと尋ねられれば、即座に後者の方だと答えらえる。何度も繰り返すが、誰も気づかないにせよ、現代はシミュラークル世界だからである。
Jastin Lieberman@Martos
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Liebermanの作品がシミュラークルになるのは、素材の物質性がイメージと化すからである。つまり、素材の物質性からずれることで、それがイメージに転化するのである。いかにしてか? 彼の場合、過剰さによって。壁に掛けられたパネルにごてごてと貼り付けられたオブジェの過剰さ、言語の過剰さ(地と無関係な意味という点で)、さらに言語のデフォルメーションまで加わって、物質性とのずれを生じさせて、作品がシミュラークルとなる。その効果は、Liebermanの作品に狂気めいた空気をまとわせるが、この理解不可能な荒唐無稽さは、同じくチェルシーのギャラリーでやっていたErwin Wurmの作品と比較すると際立つだろう。
Erwin Wurm@Lehmann Maupin
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Wurmの作品の不条理さは、ひとえに皮肉を交えたユーモア(カタルシス)につながる、それゆえ理解可能な荒唐無稽さであるのに対して、Liebermanの不合理さはまったく理解不可能である。だが、理解不可能はけっして無駄にされることはない。この理解不可能から発するエネルギーが、彼の作品をシミュラークルにする推進力になるのだから。

次にお見せするのは、Viola Yesiltacの作品である。
Viola Yesiltac@David Lewis
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Yesiltacの作品は、いくつかのやり方でシミュラークルを作り出している。しかし、Kelley Walkerの作品で説明したように、作品をシミュラークル生産の装置にすることで、逆に窮地に陥ることは極力避ける。Yesiltacは、自然の流れに沿ってシミュラークルを手作りしているかのようだ。まず、床に置かれた平面の紙の上にオブジェが置かれた作品は、紙に描かれた三角形の一部が折られて浮き上がっているようになっているために空間のイリュージョンを喚起する。それだけなら再現的絵画と同じ構造だが、そのイリュージョン空間を押さえつけるかのように、ガラス製のオブジェが紙の上に置かれる。このイリュージョンとリアリティの交錯が、作品全体をシミュラークル(現実にも非現実にも属さないイメージ)にする。さらに何本かの柱については、これが台座と考えれば、その上に設置されるものがない過少性によって、あるべき現実からずらされてシミュラークルになる。写真が二枚並んでいる作品は、装飾的な彫刻をわざわざ写真することの過剰さを指摘できるだろう。このイメージも、見事にシミュラークルになっていると言ってよい。


3月12日[day9]
ニューヨーク滞在の最終日は、今回の旅の目的の一つであるWhitney Biennialを観に行った。Biennialは、開館前から人が並んで期待の大きさを感じさせ、非常に盛況だった。しかし、展覧会をざっと見渡して、残念ながら漫然とした感が否めない。こちらに突き刺さってくるものがあまりないのだ。3人のキュレーターが、各階の展示を受け持ったことで、全体の焦点がぼけたのだろうか。全般的なテーマがないわけではない。それは、Biennialの掲げる「今アメリカにとって現代アートとは何か?」という問いに反映されているが、いかんせん漠然としている。過去のブログで取り上げたヨーロッパのビエンナーレを見れば直ちに分かるように、展覧会の焦点を明確にし、それをさらに掘り下げるには、はっきりとしたテーマが不可欠なのだ。鑑賞していくうちに、しっくりいかない印象に次第にフラストレーションが溜まって、展覧会に出品された作品が互いに長所を相殺しあっているのではないかと勘ぐりたくなった。実際、すでに本ブログで紹介したが、 Biennialに参加している日系アメリカ人アーティスト、Ken OkiishiやTrevor Shimizuのギャラリーでの個展が素晴らしかったところを見ると、あながち見当外れではなさそうだ。アメリカ以外、ヨーロッパなどのビエンナーレでは政治の季節に突入しているというのに、これがアメリカの限界だろうか。社会は扱えても政治は扱えない(アートマーケットが、そうであることは言うまでもない。キューバのハバナ・ビエンナーレがアンチアメリカ、アンチ資本主義の作品が多いのとは逆に、アメリカでアンチ資本主義を叫ぶことは論外なのだろうか)。その余波が展覧会に如実に現れて、政治の与える刺激的なスパイスがなく、全体的に弛緩した印象を抱かせる。
そのなかで、semiotext(e)の活動を回顧するコーナーがあって、懐かしいジル・ドゥルーズが、8時間にも渡るインタビューを受けた模様の映像を見れたことは救いだった。ほんのその一部ではあったが、ドゥルーズはそこで拍子抜けするほどフランクに伝記的な話をしていた。だが、「書くことは生成する」ことであって伝記とは異なると付け加えることを忘れない。
なおBiennialの画像は、帰ってから付け加えます。

2014.03.05 | コメント(0) | アートシーン

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